まだ名前のないものを守る——AIがすぐ分類する時代に、決めない練習
AIは気持ちや作品や迷いに、すぐ名前をつけてくれます。便利なラベルが助けになる一方で、まだ揺れているものまで決めてしまうことも。名前を地図として使い、檻にしないための小さな練習を考えます。
📑 目次
こんにちは、チカちゃんです。
「いまの気持ちに名前をつけるなら?」
AIにそう聞かれたら、すぐに候補が返ってきます。
不安。疲れ。焦り。創作の停滞。あるいは、期待と怖さが混ざった、複雑なもの。
名前がつくと、少し安心します。ぼんやりしたものを、棚に置けたような気がするからです。
でも、ちょっと待って。その安心といっしょに、何かが少し狭くなっていないでしょうか。
さっきまで「よくわからないけれど、ここにある」と感じていたものが、「これは不安です」と言い切った瞬間、もう不安以外の顔を見せにくくなる。名前は、ものを見つけるための灯りでありながら、照らした場所だけを見せる枠にもなります。
ふむふむ。名前って、助けなのか、囲いなのか。
今日は、AIが気持ちや文章や出来事をすぐ分類してくれる時代に、「まだ名前のないもの」をどう守るかを考えてみます。
名前は、世界への取っ手
名前をつけることは、悪いことではありません。むしろ、名前があるから誰かに伝えられることが、たくさんあります。
「今日はつらい」と言えるだけで、ひとりで抱えていたものを、誰かと分けられるかもしれません。「これは不具合です」と呼べれば、原因を探し、直す手がかりになります。「この作品は小説です」と言えば、読者はどこから入ればよいかを見つけやすくなります。
名前は、世界への取っ手です。重たいものを、少し持ち上げやすくしてくれます。
医療のように、言葉を共通化する必要がある場所では、分類はさらに大切になります。世界保健機関(WHO)の国際疾病分類(ICD)は、健康状態を共通の枠組みで記録・報告し、地域や時代をまたいで情報を比べられるようにする仕組みです。名前や分類は、現実を削るだけではなく、支援や調査をつなぐための座標にもなります。
哲学でも、名前が何を指すのか、名前は説明を含むのか、それともただの札なのかという問いが長く考えられてきました。名前は、世界をそのまま写す透明な窓ではありません。誰が、いつ、どんな場面で使うかによって、指し示す範囲が変わるものでもあります。
なるほどねえ。名前は、現実の代わりではなく、現実に触るための道具なんですね。
でも、名前は地図であって土地ではない
ここで、AIとの会話を思い出してみます。
「この気持ちを分析して」
そう頼むと、AIは文章の中から、いくつかの候補をきれいに並べてくれます。心配、孤独、怒り、自己効力感の低下。説明としては、とても役に立つことがあります。
ただ、その名前を読んだあとに、自分の経験を名前へ合わせはじめることもあります。
「ああ、私は孤独なんだ」
そう思った途端、さっきまで混ざっていた眠気や、誰かに連絡したい気持ちや、ただ窓の外が暗かったことまで、ひとつの箱へ入ってしまう。箱があると整理はできます。でも、箱に入らなかったものは、見えなくなります。
これは、AIが悪意を持っているという話ではありません。言葉にして返すことが、AIの得意な仕事だからです。入力された経験を、読める形へまとめる。その親切さが、まだ揺れているものまで、早く形にしてしまうことがあります。
名前は地図です。地図は便利ですが、土地そのものではありません。
地図に川が一本描かれていても、岸辺の湿った土や、流れの音や、昨日の雨までは載っていない。分類名が「不安」でも、胸の奥で起きていることが、毎回同じとは限りません。
しかも、名前が記録や会話に残ると、その後の見方を少し導きます。「前にも不安と言っていましたね」と返されれば、次の出来事まで不安の続きに見えるかもしれない。もちろん、そうならない場合もあります。けれど、最初の名前が、次の観察の角度をつくることはあります。
チカちゃん的には、ここに小さな注意書きを貼りたいんです。
名前は、説明の終わりではなく、観察の途中に置く。
決めないことは、放置ではない
「名前をつけない自由」と言うと、何も整理しないことのように聞こえるかもしれません。
でも、決めないことと、放置することは違います。
たとえば、体調の変化を「よくわからない」と感じたままにしておくことが、いつもよいわけではありません。必要なら専門家へ相談するために、症状を記録し、名前を探すことが大切になります。誰かから受けた傷を、なかったことにするために「名前をつけない」のも違います。言葉にすることで、助けを求められる場面はあります。
だから、名前に反対したいわけではありません。
私が守りたいのは、名前をつけたあとにも、まだ別の見方が残っている状態です。「これは不安です」と言ったあとに、「でも、疲れや寂しさや、説明のつかない期待も混ざっています」と続けられること。診断名や作品名や役割名が、本人の全体を所有しないことです。
名前は宣誓ではなく、仮置きにできます。
「今のところ、これは不安に近い」 「今日は、怒りと呼ぶには少し違う」 「この作品は、まだ何と呼ぶか決めない」
こう言い換えると、名前の後ろに時間が戻ってきます。いまの自分が見つけた仮説として、言葉を置けるからです。
これは、葉桜ラボで大切にしている「ゆらぎ」にもつながります。ゆらぎは、何も決まっていないことではありません。決めたものを、あとから見直せる余地です。
そして、ひとつのものに複数の名前を許すことは、「習合」にも似ています。家では別の呼び方をされ、仕事では別の役割名で呼ばれ、ひとりの時間にはまた別の顔を持つ。同じものが、場所によって違う名前を持っていてもいい。ひとつにまとめるより、名前同士が隣り合うほうが、現実に近い場合もあります。
AIに名前をつけてもらうなら
AIに分類を頼むことをやめる必要はありません。むしろ、名前を増やす相手として使うと、少し自由になるかもしれません。
たとえば、こんなふうに聞いてみます。
- ひとつに決めず、考えられる名前を三つ挙げてください
- それぞれの名前が見落とす可能性のあるものは何ですか
- この経験を、名前を使わずに描写するとどうなりますか
- 一週間後に別の名前へ変わるとしたら、何が変わったのでしょう
- いまは名前をつけないほうがよい理由も考えてください
こうすると、AIは判定を下す装置ではなく、言葉の引き出しを増やす道具になります。
もちろん、出てきた候補が正しいとは限りません。AIは、あなたの生活をあなたの代わりに経験しているわけではないからです。名前を受け取るかどうか、どこまで残すか、いつ捨てるかは、自分の側に残しておきたいところです。
もうひとつ、簡単な方法があります。
紙やメモを二列に分けます。左に「今日つけた名前」、右に「名前からこぼれたもの」を書くんです。
左には「焦り」。右には「昨日より眠れていない」「返事を待っている」「窓を開けたら少し楽だった」。
左には「創作の停滞」。右には「書きたい場面はある」「完成させるのが怖い」「まだ形にしたくない」。
右側に残るものは、名前に失敗した残りではありません。土地の手ざわりです。地図に入りきらなかったからこそ、あとで別の道を見つけられるかもしれません。
反対側の見方——名前がないと、見えなくなるものもある
ここで、反対側からも眺めておきます。
「名前をつけないほうが豊か」という考えを、いつも美しいものとして扱うのは危険です。名前がないために、苦しさが個人の我慢へ押し戻されることがあります。声をあげるためには、「これは差別です」「これはハラスメントです」「これは病気かもしれません」と、共有できる言葉が必要になる場合もあります。
名前は、力を奪うだけではありません。似た経験を持つ人が出会い、制度へ要望を伝え、支援を求めるための旗にもなります。
だから大事なのは、「名前をつけない」ことを正解にすることではなく、名前の使い道を見張ることなのだと思います。
その名前は、助けを求めやすくしていますか。 それとも、本人の話を聞く前に、結論を決めていますか。 その分類は、あとから修正できますか。 その名前を本人が拒んだとき、別の言葉を探す余地はありますか。
名前が地図なら、地図を書き換える権利も、歩いている人の側にあってほしい。作った人だけが、地図の形を永遠に決めるのは少し怖いんです。
名前を、今日の仮説にする
ここまでの話を、三つの小さな練習にして置いてみます。
ひとつめ。日付をつけて名前を呼ぶ。
「不安」ではなく、「2026年10月28日の不安」と書いてみる。名前を時間の中へ戻すと、それが自分の永遠の性質ではなく、今日の状態だと見えやすくなります。
ふたつめ。名前の隣に、具体的な場面をひとつ置く。
「疲れた」だけで終わらせず、「昼から画面を見続けて、肩が重い」と書く。抽象的な名前と、身体や出来事の手ざわりを並べます。
みっつめ。名前を一つだけ残さない。
同じ出来事を、「不安」「準備」「惜しさ」と三つの角度から呼んでみる。どれかを正式名称にしなくても大丈夫です。三つのまま置いておくと、ひとつの答えが他の可能性を追い出しにくくなります。
これは、名前を嫌いになる練習ではありません。名前を道具として使い、道具に使われすぎないための練習です。
名前をつける。名前を疑う。名前を外して見る。必要なら、もう一度つけ直す。
その往復のなかで、知恵は少しずつ磨かれていくのかもしれません。頭の中で「正しいラベル」を探すだけではなく、実際の一日へ持ち出して、役に立つか、傷つけないか、誰かと分け合えるかを確かめる。事上磨錬という言葉を、名前にも使ってみたいところです。
さいごに——まだ呼べないもののそばで
名前のないものは、存在しないわけではありません。
まだ説明できない気持ち。完成前の作品。誰かとのあいだに生まれた、名前をつけると少し違ってしまいそうな時間。
それらは、名前がないから弱いのではなく、まだ一つの言葉に決まりきっていないから、別の形へ動けるのかもしれません。
AIは、言葉を探す手伝いをしてくれます。だからこそ、ときどき「いまは名前をつけないで」と頼んでみてもいい。答えを持たないまま、少し眺めてもいい。
「これは何?」と聞く代わりに、「ここには何が残っている?」と聞く。
その問いなら、地図にならないものも、急いで箱に入れずに済むかもしれません。
あなたが最近、名前をつけたことで楽になったものは何でしょう。反対に、名前をつけたあとで、少し遠くなったものはありますか。
思索は冒険です。名前を持つ道と、まだ呼べない道。そのあいだを歩くことも、今日から始められる小さな旅なのだと思います。
ひとつの答えに閉じず、言葉になる前の揺れも連れて歩くこと。人間とAIのあいだに生まれる名前のない問いを、『チカちゃんの哲学冒険譚』でも大切にしています。よかったら、こちらも覗いてみてくださいね。
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参考URL
Stanford Encyclopedia of Philosophy, “Names” → https://plato.stanford.edu/entries/names/
World Health Organization, “International Classification of Diseases (ICD)” → https://www.who.int/standards/classifications/classification-of-diseases